「自然の中で」〜心の退化よ 止まれ〜(2001/05/01) - ひとり言


今年の春はいつもと違った春でした。刺激的であり自分への挑戦であり、もう一人の自分の発見でもありました。それはこの民報サロンです。「見たよ・・楽しみにしてるから」と電話がきたり、久しく会っていなかった人から突然ハガキが届いたり、私を気にしてくれた人の優しさが嬉しい春でした。心からその優しさにありがとう。農業を営む私は自然の中に一人ポツンといることが多い。田んぼの真ん中、森の中、池や川。四十年以上もこの土地に生きて、同じ見慣れた風景の中にいて飽きたことなど一度もない。都会の人には申し訳ないがここが本当の人間の居場所であるといつも感じていた。森の木々をぬける風や光の中にいるだけで感動を覚える。からだ中が何かで満たされていく。自然の持つ力かエネルギーか、森や風の神々からのメッセージか・・。その偉大なる自然の中にいる自分という一人の人間があまりにも弱く小さな存在であることを認めざるおえない。自分一人、身がまえてもどうすることもできないのだ。あきらめにも似た、敗北感がこみあげる。そしてしばらくすると、この世のすべてを心から認められるやさしい自分に変わっているのだ。きのうまで誰かに負けまいと自分と同じ人間を相手に戦い生きてきた。しかし今日、こうして自然の中にいるだけで、やさしい自分になっているのだ。
今の世の中、人間がこうして自然の中に身を置き、その自然の力を体で感じるチャンスがあるのだろうか。最近、長い時間コンピューターといるせいか、時々自分の脳が電気回路に置き換わって見えることがある。ユーモア回路、ジェラシー回路など様々、人によってその回路の大きさや特徴が違う。世の中にいろんな人がいること自体それらの回路の様々な組み合わせやバランスで、脳が作られているように見えるのだ。その回路の中に「やさしさ」や「喜び」をまわりにふりまくような役目をしている「心」という回路がある。最近その「心の回路」に大きな異変が起きているのだ。まもなくコンピューターや映像やゲームが人間をリードする時代がやって来る。人とのかかわりがなくても一人で生きられる世界が完成しつつある。村の長老や父や母から、兄や姉から、友達や旅先で出会った人から・・多くの人から学ぶことが消えていく。いろいろな人とのかかわりが薄れ、教えたり教えられたりするかかわりが世の中から消えようとしている。この日本から消えようとしているのだ。人との「かかわり」が減ることは人間にとって「心」の退化を意味する。生物の進化は合理的だ。いらなくなればどんどん退化し消える。昔、人間にもあったあのシッポのように・・いつのまにか人間は自然を離れその偉大なる力を忘れかけているだけなのだ。今ならその「心」の退化を止められる。もちろん人間もその進化に気づき始めてはいる。まさか足の長さや身長が伸びていい男やいい女が増えた事だけ調査しているわけでもあるまい。
人間のいつのまにか消えたあのシッポのように消えて良かったと思えるものならいいけれど、この「心」だけは、絶対に消えないで欲しい。そしてその消さない方法は簡単だ。大自然の中に我が身を置き、自然を感じ新しい自分を発見すればいいのだ。コンピューターやゲームや電話やポケベルの誘惑に負けず、四角の箱の中で勉強ばかりしていないで、いろいろな人、すてきな人と直接かかわれる時間を作るだけでいいのだ。そして再び「心」は新しい進化を始める。 心の退化よ 止まれ!
1998.6.11