「話す」チャンス(2001/05/02) - ひとり言
先日、この村に住む若い人たちの集まりがあった。町の地域手づくり事業として各地区ごとに村おこしなど村のために自由に使える予算が町から出ることになり、今年一月の村の総会において、我々より先輩であり熟年の人たちから「その使い道は若いてーに、頼む」と声があがってその場で若い人たちの会が結成されたのである。村民、自らが考える、村民の手による、村のための事業プロジェクトチームのようなものである。その会の顔ぶれはというと職場が違うだけで、小さいときから一緒に育った気心知れた、同じ世代の同じ村の住人だ。同等の立場、同じラインに立っているから言うことに遠慮もなければ、飾ることも、見栄(みえ)張ることもない。そもそもこの文章も「さとし、民報サロンに書いてるみでーだけど、一度ぐらいはこの会のことかぐなんねぞ!」と半分脅迫されて書いているのだ(冗談です)。村の将来の話がでていたかと思うと、様々な個性の集まりだからいつのまにか脱線して子供だった頃の懐古談やUFOや超能力の話題に話が飛んだりするのだ。こっちの話のほうが盛り上がったりする。「オイオイ、村の将来はどこへ行っちゃったんだよ」と私は心の中でつぶやいている。この日は昭和三十年代頃の村や町のにぎやかな風景の話で花が咲いた。聞いていて懐かしく思い出されたし楽しい時間が過ぎた。「あのころ田島の祭り(会津田島祇園祭)にはサーカスが来ていて・・、今はないけどあそこの角の食堂でラーメンとそこの棚のゆで卵を食うのが、ハイカラだった」などなど、話しは切れることがない。そう言えば同じ村に長年住んでいながら、村の未来や色々なことをそれまで話さずにいたのが不思議なような気がした。やっぱりそれぞれに忙しい世の中なのだ。偶然にもこんな会が結成され、一番興味ある?UFOの話まですることになったのだから、村にも、そんな予算を決めた町にも感謝したい。そういえば今の世の中、こうしてみんなが集まって話すチャンスなどあるのだろうか。最近あなたは、三分以上誰かと話しましたか?妻、夫、我が子、兄弟、親、爺ちゃん婆ちゃん、あるいは友達同士で、きのう見たテレビのこと、人生のこと、我が家の将来について、話題はそれぞれ様々、こうして生きていれば、見たり聞いたりその日あったことを、誰かに話したくなるのは当たり前の事だ。自分に向かってきたあらゆることを、人それぞれ自分の中で消化吸収し、様々な形で外へ放出したくなるのは人間の本能なのだ。この声、この手、この体全体を使って表現する。それは会話、文章、詩、童話、映画、演劇、歌、花、絵、踊り、ダンス、様々な形で・・。それがまた誰かに伝わり、その人の中でまた別なものに変わる。それが喜びや感動だったら素敵です。私にもその喜びや感動をくれた人が沢山いた。二十年近くも前出会ったその人は、私に映画や音楽について沢山のことを話してくれた。それは夜明けまで続いた。その人といた時間が、様々な価値観、あるいは自分の中に眠っていた何かを目覚めさせてくれたような気がしてならないのだ。「話す」ことは様々な価値観を知ることだし、様々な人を見つめることになる。それは同時に自分という人間を見つめることになり、それはもう一人の新しい自分を発見することになるのだ。そんなチャンスが増えれば増えるほど、この小さな町にもキラキラと輝き、夢を持ち続ける人がさらに増えるのではないだろうか。
この「話す」チャンスを大事にしたい。
1998.5.22