ひとり言(2001/12)
2001/12/10:その5 「知導説」を信じている日本人(一日分)
もし子供のうちにいい男になるのは簡単だ。心を磨き、歌を歌って、人とおしゃべりを楽しみ、武道でもやっていればいい男になれると私は信じている。虫歯が一本も無く。背の高さが一八〇程度????、ユーモアがあって宇宙や地球上の出来事に興味があって、人間の悲しむ顔に心痛めて、いつかその人たちの苦痛を取り除けるような人間になっていようとする。「これからが新しい日本の教育」、「情報化の波」をトレンディーであると勘違いしてる人々が多い。かつて天動説を否定し、地動説を主張したガリレオがいたように、人間の本質とは、知主導説(知識の量の多さのが人間の価値に比例する説)に異を主張するときが来たのだ。今の日本人のほとんどは、知導説を日本人が信じている。これってとっても未来チックじゃないよね。 残念です。
2001/12/09:その4 目に見える部分だけで人間を評価してきた時代とはさよなら(一日分)
人間には試験の点数や成績などとは別に、目に見えぬ部分の存在をしること、そのどの部分が自分が今まさに興味があってどんなふうにすればそれがのびるのか?どうすればそのレベルが伸びて、自分の目指す波形をいかにイメージして生きていくことが大切なのではないか。大人になって勉強したい気分になるのは、自己が明確になり、自分の人生を、明確に振り返れる年になったから???・・・子供自身が、この見えない本当の人間の大切な部分の存在を気にして生きることは難しい。しかし、その役割は親だったり、周りの大人だったり、先生だったりするのだ。 目に見える部分だけで人間を評価してきた時代とはさよならです。
2001/12/08:その3 知の詰め込みから解き放せ(一日分)
自由な発想、先生自体、自由な発想したことがない、昔、学校で思考リミッターを取り付けられて大きくなった人間なのだから難しい。しかしその自分のリミッターの存在を謙虚に受け止め、子供たちと一緒にその思考リミッターを外すときがきたのだ。子供の可能性って何、子供のどの辺にあると思いますか。頭の中でしょうか。DNAの中にあるのでしょうか。
2001/12/07:その2 「心の教育」への反論(一日分)
教育問題の特別番組など見ると的はずれのセリフが多くて耳が痛い。苦しい。変わりばえのないセリフ。そもそも教育問題を論じている人種自体が、知的階級で、日本の社会を牛耳っている人間なのだ。日本教育の勝者なのに、そこから何が生まれるというのだ。心が本の中自分の読んだ小説の中から授かったとか思っている人間たちなのです。「心の教育」という表現が変であることなく。トレードマークのように世の中を泳いでいくのだからこれまた不思議である。偉い人の言った言葉は絶対なのだろう。もちろん学校の生活の中でも心は生まれるのも確かだが、その人間が生きてるすべてが心が自然に生まれていくのだ。インスタントラーメンがはやり、インスタント的にこの教科書5ページをこなせば心が5パーセント身に付くとでも思っているのだろうか。知を選んだ人々よ!かんちがいするのはよしましょう。その子供たちの親ももちろん変である。そんな日本の教育のずぅーっと変わりばえのない中で育った自分、その自分が今度自分の子こどもにさらなる同じ教育の波と同じことさせようとしているのだ。 そして自分が勉強しないで今のようになったことを嘆き自分の子には教育をと思っているのだ。教育が悪いと言っているのではない。今の教育システム自体が変だといっているのだ。体験の時間を増やします。自由研究、自由な発想を、個性を育てます。いったいなにでやろうとしいるのでしょうか。その手段が2002年からのカリキュラム???????変です。
2001/12/06:その1 言いたくてしょうがない(一日分)
日本人の価値観がひどく狭い範囲でしか物事を見ることのできぬことが心配である。おしゃべりも苦手、人生や価値観について、自分の持つそれまでの人生で得た哲学を話そうとしない。習慣がないのだ。照れがあるのか、とてつもない学者でもなければ話せないとでも思っているのだろうか。学者のように難しい言葉でも使わなければ話せないとでも思っているのだろうか。私には不思議である。うぬぼれ、思考だけを楽しんでこの机から離れようとしない人種である私・・・・・・・でもこのことを今伝えたくて伝えたくてしょうがないのである。 言いたくてしょうがない。
2001/12/02:学校、教育に対する誤った価値観(一日分)
学校、教育に対する誤った価値観
学校は、感性を磨き、人間性を磨き、自分を更に輝かせるはずのものと信じている人がいるようだけれど、今の学校や教育は、感性や輝きを砂で削り丸みを付けて、感性を鈍らせ、感動を消し去り、心にいつも霧が立ちこめているような人間を育てるマイナスの力を持っている可能性もあるのだ。無限の可能性のはずの子供が、いくつもの可能性を抜き取られ、一つの可能性をも持つことなく、10年以上も四角の箱の中で過ごすのだ。 知らず知らずに親たちはそれを良きとし、学校に行かないより行かせた方がましだと考えているのだ。 自分の子を学校に行かせ続け、いつのまにか大切なものを落としてきて十代が終わるのかもしれない。 それが今の日本の教育なのかもしれない。学校でやることは、知識の詰め込みです。 自分の欲しているものならまだしも、誰かが決めた「人間賢く、一生を送るために知っておくべき知識」などと叫びながら教科書は作られている。はたしてそんなに人間に重要な事って教科書の中に書かれているんでしょうか。
2001/12/01:15才の君へのメッセージ(相澤くんへ)(一日分)
15才の君へのメッセージ
考える時間は大人になったらますます少なくなることはない。それは君しだいだし、もちろん15才のそんな風に感じてる今の君そのものが、未来の君の思考や思想の基本形だと思うけど。価値観は歳と共に少しずつ変わっていきます。 素敵な価値観や思想を持った自分になるためには「いい本に出会うことだよ」と文系や文字派の人は君にアドバイスするだろうけど。私だったら、素敵な大人に出会うこと、素敵な映画に出会うこと、素敵な友達に出会うこと、素敵な恋人に出会うこと、素敵な歌に出会うこと、そして数冊の素敵な本に出会えればそれで良いと思う。 もちろんいつも君を守っている身近な素敵な大人たちのいることも忘れてはいけない。