某雑誌の記事について(その3)

 

●「土地の問題」「補助金」「災害土砂」について

①記事では、広場の真ん中に建てられ広場の使用に支障があるようにも書かれていた。毎年、広場を夏のキャンプで利用している神奈川実業高校の生徒や先生、筑波大学教育学部の野外キャンプの子供たちも、これまでの3年間、今年の夏も含めなど多くの人たちもそれ以前と変わらず利用されている。そして地元のグラウンドゴルフのグループの人たちも、支障なく練習や大会などに広場を使われています。

②その土地は、グラウンドゴルフなどに使われている広場とキャンプなどの多目的に使われる広場の境界にあり、私が町に貸している土地の一部の何本かのもみの木のある横の土地8㎡(2m×4m)の電気室の建設についてですが、その年の春には、その建設についての町への相談や文章でのお願いを提出している。太陽光発電所建設の中で広い面積を要する太陽光発電パネルは、その広場の向こうの町との賃借契約外である私の土地に建設している。その記事は、まるで町所有のあるいは他人の土地に建設したようにも書かれているのも残念である。

③「補助金によって建設した」についても、補助金など1円ももらっていない、全て自分の借金なのです。この記事を書いた人は、よほど「補助金」について詳しく、これまでも自分が補助金を上手に使って色々得をしてきた人なのだとおもう。全て自分のお金で建設した私としては、補助金、誰かの力を借りて作ったと思われるのが不愉快である。
 「補助金」には、必ず出所が明らかなはずだ。国、県、町なのか明確に分かるはず、どんな補助金が私のふところの入ってきて、甘い汁をすって生きているのか証明すればよかったはずだ。補助金イコール泥棒などというような表現で私を形容していたのには驚いた。人を泥棒よばわりして、他人の人生を踏みにじるれる人がいることが、悲しく残念である。この宇宙で、この地上で、この世界で61年間生きたこんな私を、平気で泥棒(悪人)と呼べる人間、そんな彼らにどれほどの正義があるというのだろうか。人の心を傷つけ、人の人生に「悪人のラベル」を平気で貼れる人間に「愛」や「良心」などあるのだろうか・・・。


④「ダンプで何百台もの災害土砂で埋め立てしその造成に使った」については、記事には「建設予定地が低いのでその埋め立てに災害土砂を使った」という理由をつけての記事は、誰のおもいつき(アイディア)なのか聞きたいくらいだった。隣接する広場より低ければ低いほど景観的には、視野からパネルが見えなくなり景観への対処になる、台風などの強風時には、低ければ低いほど風は弱くなりパネルは守られる。土砂で埋めて高くして建設する理由を聞きたいものだ。建設予定地は傾斜地を切土によって水平に造成されている。現地に行って見れば分かるが、広場(グラウンド)より5m以上低い眼下に建設地を見下ろすことができる。それにまた、災害で出た土砂は、近くの広場に仮置きとして捨てられていたが、砂と粘土が混ざり合った「トロトロ」の土砂で、もしその土砂を造成に使ったとしても、その上に建築物を建てることは不可能である。その上を歩くことすらできないだろう。